21.1.26の日記
何か日記を書こうと思ったけどあまり思いつかなかったので内容がないことを適当に語ることにする。
最近とあるゲームをやっていて、大変面白かったのでオタクとしてファンアートを描きたいなあと思った。絵を描きたいなあと思うのはかなり久しぶりで、ちょっとくらいでも描いていたのは5年位前になる。
そもそも絵を描いてたのしー!ってなっていたのは中学生の頃が最後である。
それ以降はうまく描けないことに苦しみ、ポーズを考えるのにも挫折し(元々は自分でポーズを鏡に映していたりしたがそれだと表現の幅が狭い)、それじゃあと参考資料を探すのにも心が折れ、その上版権なので資料を集めるのもそれはそれはめんどくさく、最終的にめんどくさいという思いがはるかに上回ったので絵を描くのはやめた。
絵がうまくなりたいという思いが全くないかと言われればそうでもないが、正直絵をうまく描けるようになるまでのコストとそれに対する報酬があまりに見合わなさすぎる。
圧倒的コスパの悪さ。
コスパと言えば、絵が描けるようになっても社会的地位や立場に貢献するよりはマイナスに働きそう、というイメージも抱き続けている。一般社会に身を埋めることを決めた身としてはせっかく努力してうまく描けるようになったとしても、そのスキルを隠して生きていくのが賢明、となるのはあまりにコスパが悪いと思うのだ。(趣味程度の話)
失礼に失礼を重ねているような気がするが、私はオタク文化は隠れるべき、迫害されてこそ輝くのだと思っているおそらく現代的にはアレな人なので、そんな感じだ。この話を語ろうとするとまた別に長くなる。
ともかく、同じ労力かけるなら言語取得するなあ、そっちのがやりがいあるし仕事に役立つしなあと思っている。
まあそれでも好きならコスパ悪くてもやればいいんじゃないの、という話だが、私が絵を描けるようになりたいと思う理由は自分の考えたことを絵という形式で表現したいからというものに集約され、別に絵を描くこと自体が好きなわけではない。なので、本来なら自分の考えることを表現するためにわざわざそんなコスパの悪い手段なんて選ばない。文章で十分である。クオリティーはさておき、脳直で書き出せるし空き時間にもやろうと思えばやれるという導入コストの低さはあまりに魅力的だ。しかも情報量も多い。
普段ならば喜んでそれで済ますのである。
しかし、非常に久しぶりにこれは文より絵で表現すべき、という事態に陥ったので、絵が描きたくなった。別に美麗イラストとかそんな高度なものは求めていない。適当でいいのだ。しかしながら前述したとおりその”適当”でもめちゃくちゃめんどくさいのが絵なのだ。やりたいけどやりたくない、そんなジレンマに少しだけ悩まされている。