脳天直下

よくわからない日記とか

20.12.11の日記 12月という鬼門

12月という鬼門、というタイトルを付けたが正しくは12月~2月が鬼門である。

ここ数年この時期になるとひどく憂鬱になる。世間一般的には5月病の方が有名だが個人的には冬の方がかなり厳しい。

ふんわりとタヒにたい、どこかへ行きたいという気持ちが湧いてくる。とはいっても詐欺に遭った時のタヒななければという本気の希死念慮を思えば、具体的にタヒななければと思っているわけでもなく冷静に考えればまあ実際死んだら困るかな…くらいのふざけたふんわり具合である。思っていないのにその単語が浮かんでくるというよくわからない感じだ。

しかし私は案外常日頃からふんわりとでもそういう思いを抱いているわけではないので、まあ軽い異常事態とも言えるかもしれない。

 

何をやっても楽しくないというのは今に始まった問題ではないがこの時期は本当にそれが強く虚無になってしまう。幸いこの前ライブがありその時はとても幸せになれたが、もうすでに虚無である。毎日イベントがあればいいのに。東京(近郊)に住めば多少緩和されるかな。

確かに気になっているアニメや映画を見たり、小説を読んだり書いたり等穏やかに過ごす方法はあるかもしれないがすべてがめんどくさいのだ。私をベッドに縛り付ける安心毛布と共にごろごろする以外に体力を使えないし、何にも集中できない。集中する気力体力がない。まず始める気力体力がないけど。

 

この時期は食べ物を消化するのさえ体力が足りていないと感じることも多々あり、安価で即物的な欲求を満たせる最もコスパの良い唯一の趣味である食の楽しみさえ奪われる。いや食べるんだけどね(だから太る)。

12月に入ってからバイトも激減した(扶養で休んでいた人が戻ってきたので)けど、こんな状態だからむしろありがたい。そうでなければ卒論もあることを考えると無理することになって死ぬことも容易に想像できる。

 

少し前までならメンタル的療法でどうにかしようとなけなしの金をはたいてカウンセラーに行ったりしていたが、もうメンタル的療法はあまり意味がないかな…と思ってしまっているので特に誰かに相談したりすることはない。別に全く意味はないってわけではないと思うんだけど、SNSで見かける限り診断を受けて安心するだけして全く意味なし、みたいな事例が多すぎる(ような気がする)のでメンタル的療法自体に嫌悪感を示すようになってしまったのがその考えに至った要因として大きい気がする。

まあ他にも純粋に1回1万前後金出す余裕がないというか、かと言ってスクールカウンセラーは質が低くてじゃあ受けなくてもいいかなあって感じだったりとか、なんかもうすでに性格と結びついているところもあって思考矯正とか難易度高いし時間かかるなら別に今やんなくていいかなあとか、純粋に忙しくてそんな余裕ないとか諸々あったりする。

 

何なんだろうなあ、どうすればいいんだろうなあ。